住んでいる所が福岡なんで、福岡の高校生二人が東京で自殺したニュースは、
昨日の夕方、地方版のニュース枠でかなり大きくやっていた。
どんな経緯でのことかはその時点では分かっていなかったが
福岡市の市立高校生と篠栗町の県立高校生とテレビは言っていた。
聞きながら仕事をしていた自分とか、篠栗在住の上司とかは
「福岡の市立っつーたら○○か△△かなぁ?」
「粕谷の県立っちゃあ××かもなぁ」とローカルなネタや、
遺書に書かれていたという「強いて言えば疲れた」という言葉に
「この歳で疲れたと言われてもねぇ」と苦笑していたのが現実。
何が引き金となったと報道される以前の話。
一夜明けて。
朝のNHKニュース。
東京であった解散コンサートがどうのとかいう言葉が
弁当を作っている自分の耳に入り、ふとテレビの画面を見ると
代々木第一体育館が画面に広がっていた。
最低。
10年後の同窓会を約束され、その場に居たのに
何故それを理由にする?
居たくてもその場にいれなかった人もいるのに?
10年後、同窓会の約束をされたのに、自ら10年後を亡くす?
勿論、野猿の撤収が真の理由ではないと思う。
あくまでもきっかけ。
他にも色々あったものが、これをきっかけに吹出して、の、結果だと
私自身は思っている。
つらくて、自分が選んだ結果なら、何も死ぬなとは言わない。
それしか本当に道が無かったんだったら、それしかないんでしょう。
でも、本当にそれしか無かったか?
それに、何故、これから本業に戻る野猿を道連れにする?
今まで「死にたい」と思ったことが無いわけじゃない。
もうそれしかないんじゃないかと思うようなこともあった。
なんだか、やりきれない。