一身上の都合により、日記休載。
(うそ。気が向いたら書きます。実はまだ17時過ぎさ。)
…やっぱり臨時休載。(明日書く。)
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以下、実は5/28 17時頃
一応書いていた日記。
(考えたけど、やはり載せる。)
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自分は、父方のいとことは疎遠で(みんな遠くにいるから)
どちらかと言うと長崎にいる母方のいとことは良く会っていた。
北九州生まれの自分の家は本家だったので、父方の田舎と言うものは無く、
母方の田舎である長崎には夏休みになると数日間だが遊びに行っていた。
母方の親戚の子供には男の子の方が多く、
女の子と言えば、自分と自分の3つ下の実妹の他には、
母のすぐ下の妹の子E(私より6つ下)と母のその下の妹の子A(私より10歳下)の合わせて4人だけ。
Eちゃんは一人っ子だったし、Aちゃんの場合は彼女の兄弟は兄二人だったので
自分と実妹を姉のように慕ってくれた。
私と実妹が長崎の祖父の家に行くと、来る日を前もって聞いていたのか、
必ず祖父の家で待っていた。
子供達だけで花火をしてはいけないと祖父に厳しく言われていたから
普段はいとこたちで会っても、花火をすることはできないのだが、
年長の自分が来たときだけは花火をして良いらしく、
行くとすぐ花火を買いに行くのに付き合わされた。
年をとり、仕事をはじめると長崎に私と実妹の二人で行くことは無くなり、
いとこたちともなかなか会う機会が無くなった。
Eちゃんは広島の大学に行き、その後、高校の先生になった。
最近は会っていないが元気でやっているらしい。
最後に彼女に会ったのは、祖父の葬式の時で、彼女が学生のときだったので
未だに彼女が先生になったと聞いてもピンとこなかったりするが。
Aちゃんに最後にあったのは1996年の10月。
自分の結婚式の為にわざわざ高校を休んで奄美大島まで来てくれた。
自分の花嫁姿を見てきれいだと言ってくれた。
Aちゃんがお嫁さんに行くときは結婚式に呼んでねと言ったら笑っていた。
それから5年の間に、彼女は高校を卒業して、就職した。
今日、朝6時半ごろ、電話が鳴った。
親世帯の電話だったので放っておいた。
母は昨日から旅行中で、電話は父が取ったようだった。
数十分して、旦那の弁当を作らなきゃいけないし、食事の準備もあるので下に下りると、
父の表情がいつもの朝のそれとはちょっと違っていた。
「今朝、Aちゃんが亡くなったぞ。」
ここに載っているこの事故がそうらしいと言いながら父が広げた新聞の中央に、
バスとぶつかってへしゃげた車が写っていた。
今、思い出されるのは、奄美大島で会ったときの、元気そうな顔。
ぽちゃっとした彼女の顔が忘れられない。
結婚式に呼んでくれるあの日の約束も、もう果たせない。
果たせる約束も既に無い。